日本の国家である君が代。
日本人であれば歌えない人はいないと思いますが、歌詞の意味をしっかりと理解している人はどれくらいいるでしょうか。
「日本人なのに日本国国歌である君が代の意味を知らないのは恥ずかしい!」
そんな思いで調べてみると、今まで全く知らなかったことがたくさん見つかりました。。
ここでは、多くの人が知らない「君が代の本当の意味」の解説と、知っている人がもっと少ない2番・3番の歌詞についてもご紹介したいと思います。
もくじ
君が代の歌詞の本当の意味とは?
意味の解説の前に、まずは君が代の歌詞のおさらいをしてみたいと思います。
歌詞はこうでしたね。
君が代は 千代に八千代に
さざれ石の 巌となりて
苔のむすまで
それでは、1文節ごとにその意味を書いていきます。
君が代は ⇒ 天皇陛下の御代が
千代に八千代に ⇒ 永く永く
さざれ石の巌となりて ⇒ 細かい石が(長い年月を経て)巌(大きな石)となり
苔のむすまで ⇒ 苔がつくまで
つまり、
天皇陛下の御代が、細かい石が長い年月を経て大きな石となり、その石に苔がつくまで永く永く続きますように。
というのが君が代の歌詞の意味となります。
他の国の国家では戦意高揚を促す歌が多い中で、こうした相手のことを慮る歌が国家になっているのはさすがは「和の国」と思わされます。
曲を聞いただけでは、なんだか重くて暗いイメージを持っている人がいるかもしれませんが、歌詞の意味を考えると実に重厚な歌に感じられるのではないでしょうか。
追記:アラキさんよりコメントを頂きました。私が調べた内容(上記に記載)とは異なる事実をご教示いただきました。下部にあるコメント欄も併せてご参照いただけたらと思います。
君が代の歌詞は全部で3番まである?
実は君が代の歌詞は全部で3番まであると言われています。
明治23年の生徒用唱歌(今でいう音楽の教科書)には、三大祝節頌歌(さんだいしゅくせつしょうか)として君が代が掲載されていて、現在の1番の他に、2番・3番が掲載されています。
2番の歌詞は、天皇陛下が不滅であることを祈る内容であり、3番の歌詞は、古代日本の国風文化を称えたものとなっています。各節には、山や川、風景など、日本の美しい自然が詠われており、国土や文化、歴史への敬意や愛情が込められています。
ちなみに、この君が代の2番と3番ですが、2番の作者は源頼政、3番の作者は藤原俊成で、この両者(ともに平安時代の武将・公家)の和歌を由来として作られています。
君が代の2番と3番の歌詞
<2番>
君が代は 千尋(ちひろ)の底の
さざれ石の 鵜(う)のゐる磯(いそ)と
あらはるるまで。
<3番>
君が代は 千代ともささじ
天(あめ)の戸や いづる月日の
限りなければ
2番の歌詞の意味
天皇陛下の御代がいつまでも永く永く続きますように
深い海の底の細かい石が波に打たれて集まり、
鵜のいる浅瀬に磯となって現れるまで
3番の歌詞の意味
天皇陛下の御代は、千年などと期間を定めて歌に詠むことはできません
天の戸から出る月や太陽と同じように、
限りなく存在し続けるのですから
実は歌詞4番もある?
生徒用唱歌には3番までしか掲載されていなかった君が代ですが、他の教科書では4番も掲載しているものもありました。
<4番>
君が代は久しかるべしわたらひや
いすゞの川の流たえせで
4番の歌詞の意味
天皇陛下の御代は末永く続くに違いありません
伊勢の地にある五十鈴川の流れが絶えないのと同じように
君が代は戦争を意味するのか?
君が代は戦争を連想させるという意見が今も根強く残っています。
特に、太平洋戦争時に併合された韓国の反応は特に目立ちます。
そもそも戦争時には、国旗を掲揚し国歌を歌い戦場へ赴きます。国民の力を結集するためにどの国も同じことをしているはずです。
そうした側面から見ると、君が代と戦争にはつながりがあるということになりますが、君が代だけがことさら戦争を連想させるというのは誤りです。
前述したとおり、どの国も戦時には国力をまとめ戦意高揚のために国歌を用いているからです。
戦争を経験された世代の方々にとって戦争を連想させるという意見も理解できますが、そうではない世代にとっては何となくそんな意見があるからといった漠然とした理解ではなく、今一度自分で歌詞を吟味して、どういった意味であるのかを確認してみてはいかがでしょうか。
君が代の歌詞の作者
君が代の歌詞に関しては、その起源や作者について明確な答えを出すことは難しいとされています。
この歌は、日本の国歌として広く知られ、愛唱されていますが、その背後にある歴史は複雑で、多くの説が存在します。特に、歌詞の作者に関しては、いくつかの異なる見解があり、その一つには、古今和歌集に収められている作者不詳の古歌が元になっているというものがあります。
この古歌は、日本の古典文学における重要な役割を果たしており、多くの研究者や歴史家がその起源を解明しようと試みてきました。
歌詞の作成に関連して、宮内省楽部伶人の林廣守が関与しているという説もありますが、これは作曲面での貢献を指しており、歌詞自体の作者とは異なる可能性が高いです。
また、文徳天皇の第一皇子、惟喬親王に仕えていた木地師や、橘清友が作者であるという説も存在しますが、これらはいずれも確証に乏しく、様々な推測に基づいています。
このように、君が代の歌詞の作者については、確固たる証拠が見つかっていないため、複数の説が並立しています。
今日に至るまで、その真相は謎に包まれており、歴史の中でさまざまな推測がなされてきました。将来的には、新たな発見や研究によって、この長年の謎が解き明かされるかもしれませんが、現段階では、君が代の歌詞の作者を特定することは困難であると言わざるを得ません。
まとめ
日本の国家である君が代の歌詞の意味のほか、戦争との関連や作者についてまとめました。
暗いとか古臭いといったネガティブな思いを感じている人もいるかもしれませんが、君が代のことを知れば知るほどその重厚さが感じられるのではないでしょうか。
最後に君が代に関する補足をしておくと、国歌として正式に法で定められたのは1999年の「国旗及び国歌に関する法律」によるものなので、わずか20年強ほどの期間しか経ていないということ、曲の長さは約45秒で、世界一短い国家としてギネス記録にもなっているという驚きの事実があります。
日本国民として知っておきたい国歌としての君が代と、ちょっとした小ネタを追加して終わりにしたいと思います。